略歴

京都府出身。中央大学法学部卒業、明治大学法科大学院卒業。
2011年弁護士登録(第二東京弁護士会)。
高円寺南在住。杉並総合法律事務所在籍。
自由法曹団、日本労働弁護団、ブラック企業被害対策弁護団、明日の自由を守る若手弁護士の会(あすわか)等所属。高円寺小中一貫校スラップ裁判、杉並民商税金訴訟、杉並区スタジオ・イースター事件、カフェ・ベローチェ事件、年金切り下げ違憲訴訟、「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟担当

趣味

いろいろあります。キャンプ、登山、カヤック、バーベキュー、温泉、スキー、スノボー、フットサル、ソフトボール、ビリヤード、ダーツ、UKロック、お酒、阿波踊り、銭湯めぐり、たこ焼きづくり…などなど

ご挨拶

1983年6月、京都市に生まれました。
小さいころから、じっとしていることが大嫌いで、いつも泥んこになるまで遊んでいました。

小学校1年の頃には、若貴兄弟にあこがれて相撲に熱中し、よく弟と組み合っていました。とにかくわんぱくで、いつも弟を泣かせていたので、見かねた両親が、発散する場所が必要と小1から剣道に通わせたほどです。
小2からは野球を始めました。関西だけど巨人ファンでした。野球の方が楽しくなってそれからは、野球漬けの毎日でした。学校の授業の中では体育がダントツで好きでした。

いつでもリーダー

小学校1年生から高校3年生まで、学芸会や学祭の芝居では、すべて主役でした。ヤマトタケルにニュースキャスター、シンデレラや魔女の役も演じましたよ。毎年やることが当然になっていた感もありますが、みんなから「やれ!」と言われたら期待に応えたいという思う性格なんです。新しいことにチャレンジするのも好きです。

中学校時代、3年連続合唱コンクールでは指揮者でした。野球部の部長をしていて、音楽のことはほとんどわからなかったんですけどね(笑)。
そういえば、学級委員長もずっとやっていましたね。

平和の原点は、『はだしのゲン』

小学校に入学してすぐ、父と『ドラゴンボール』の漫画本を買ってくれると約束しました。ところが父に渡されたのは『はだしのゲン』。
人を疑うことを知らなかった幼い僕の心はショックで砕け散りました。ところが読み進めるうちに、ゲンの目を通して戦争の悲惨さを体験し、「戦争はしてはいけない」と強く思っていました。

祖父が戦争経験者だったこともあり、父は戦争の恐ろしさを私に教えたかったのだと思います。
読み終わったら、『ドラゴンボール』を買ってもらえましたが、父の思惑にはまったわけです(笑)。
広島の原爆ドームに連れて行ってもらいましたが、資料館が衝撃的だったことを今も覚えています。

弁護士をめざす

最初は将来、父と同じ税理士になりたいと思っていました。
父は消費税の導入、増税に反対の声をあげるような税理士でした。弱い立場の人、中小企業のために仕事をする姿は僕にとって誇りで、同じ道を進みたいと思っていました。
けれど、「弁護士の方が幅広い活動ができる」と言われ、別の道を意識するようになりました。

憲法の本質に触れた大学時代

大学時代は、山登りサークルで多くの友人たちに恵まれました。南北アルプスに登って眺めた景色や夜通し語ったことなど忘れられません。テントで飲むお酒も格別でした。

憲法について深く学んだのもこの頃です。
とくに好きな条文は、憲法13条(個人の尊重)と21条(集会、結社、表現の自由)。憲法はほかの法律と全く違う性質を持っていて、9条(戦争の放棄、戦力の不保持、公戦権の拒否)もそうですが、人権規定も、一人ひとりを個人として尊重するためにあるんですよね。人権は、他者の人権を侵害しない限り最大限尊重されるという発想に、いままで感じたことのない感動を覚えました。

同じく学生時代、ハンセン病療養所を訪問し、入所者の方にお話しを聞く機会がありました。
療養所で行われていた強制隔離政策は、人権侵害の最たるものだと思いました。発病すると療養所とは名ばかりの療養所に送られ、満足な治療も受けられず。故郷とは切り離されて、子孫を残すことも許されないー人間の尊厳がこんなに軽く扱われていいのかと、言葉を失いました。
日本国憲法のもとでも人権がないがしろにされていた事実に衝撃を受けました。
一人ひとりの人権を守れる弁護士になりたい、と弁護士としての将来を具体的に思い描けるようになっていました。

声をあげなければ、社会は変わらない

猛勉強の末に2010年に司法試験に合格。
その年に司法修習生の「給費制」の問題にかかわりました。

国会議員の控え室をまわって、要請行動にも取り組みました。初めて声をあげた経験でした。
給費制度の継続を求めて、裁判所前で宣伝

裁判官・検察官・弁護士を目指す人は必ず、約1年間の司法修習という研修受けなければいけません。修習に専念するためアルバイトが禁止されますが、国家公務員に準じて給与が支払われていました。
ところがまさにこの年から、給費制を廃止し、お金がない人は借金するという制度に変わろうとしていました。「お金のために働く弁護士しかうまれない」――当時、受験を終えた同期の修習生たちが、運動を繰り広げました。私もそこに参加し、議員要請に参加しました。

結果として、1年だけですが給費制を継続させることができました。
声をあげて立ち上がれば、社会は変わる――この経験はとても大きなものでした。
世の中を変えるためには、声を出して動かなければ――社会と政治を変える弁護士になろうと吹っ切れた瞬間でした。

人生を変えた東日本大震災

司法修習に受かってすぐ東日本大震災が発生。居ても立っても居られず、司法修習の仲間たちと被災地へ向かいました。

震災後初めて目にした仙台の海岸線は、どんな言葉で言い表したいいのか、今でもわかりません。津波で流された家、船、車、ヘドロの臭い・・・。
宮城、岩手、福島――どこもかしこも3月11日14:46のまま、ときが止まっていました。そんな中、泥に埋まった憲法の本を見つけたときは、複雑な思いがしました…。

避難所を訪れ、家族や住む家を失った津波被害者の方の要望をとにかく聞いてまわりました。国や県が津波被害の対策をとっていれば、救えた命があったはずでした。悲しみの声を聞き、犠牲の多くが「人災」ではなかったのかと、怒りが湧き上がってきました。

弁護士でもない、ボランティアとして大した支援もできない――けれど、必ず弁護士になって皆さんの役に立つと誓いました。

ついに弁護士に

被災地でずっと無力感を感じていたので、弁護士バッジを手にしたときは、「やっと力をもって権力とたたかえる」と喜しかったことを覚えています。


弁護士なりたての頃の私

被災地で感じた無力感を原動力に、原発被害者と労働者に寄り添う仕事に取り組みました。
「生業(なりわい)を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟の弁護団となり、私は主として郡山が担当地域となりました。
この訴訟は、800人の原告とともに、東京電力及び国を相手方として、地域を汚染した放射性物質を事故前の状態に戻すこと、そして元の状態に戻るまでの間、精神的な苦痛に対する慰謝料を求めて訴えをおこしたものです。

私は、郡山市の60代の農家の男性を担当しました。
先の生活が不安で不安で仕方ないにもかかわらず、何度も訪問する私に親身になって話してくれました。
代々農業を続けてきた農地は放射線量が高く、手間暇かけて育てた野菜は破棄しなければなりませんでした。丹精込めて作られた野菜は、本当においしかったです。
「原発さえなければ・・・」。 目に見えない放射能によって、それまであった生活を奪われた多くの方々の無念を晴らしたい――気持ちをともにして臨みました。


「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発事故弁護団の一員として(出典:「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発事故被害弁護団facebookページ)

杉並のアニメ会社とのたたかい

パワハラ、長時間労働、残業代未払いなど、労基法違反のオンパレードをやめさせようと、3人の労働者が労働組合を結成し、会社と交渉。そのうち一人は、たった250円の時給で働かされていました。

しかし、日本の文化であるアニメ制作にかかわりたいという情熱を持った若い3人に対し、経営者が言い放った言葉は「アニメ業界には労働法はない」。
3人は当時私が所属していた事務所に相談に訪れました。2年以上かかりましたが、十分に名誉・権利を回復させるだけの補償をさせて和解しました。

労働者を使い捨てにする企業の不正を許してはいけない、労働者のためにたたかい続けようと決意を固めた事件でした。

カフェ・ベローチェ事件

コーヒー・チェーン「カフェ・ベローチェ」で約4年働いた当時20代のアルバイトの女性に対し、契約更新を本人の意思に反して打ち切り。
継続して働くことを求めた彼女に対し、会社側は交渉のなかで「従業員が入れ替わらないと新鮮度が落ちる」などと発言。
尊敬を傷付けられた原告の雇い止めの撤回と損害賠償を求めて提訴した事件の弁護を担当しました。

「大好きなお店だから働き続けてきました。なのに、やめさせる理由として『鮮度』という言葉を使って、魚や野菜のようにモノ扱いされ、人としての価値まで奪われました…。」と原告は、涙を流しながら裁判への決意を語ってくれました。

アルバイトとはいえ、会社にとって大切な存在であるはずなのに「鮮度」という言葉で、切り捨ていいはずがありません。

結果は、東京高裁で和解。ブラックバイト問題に一石を投じた事件でした。


「カフェ・ベローチェ事件」和解成立会見

カフェ・ベローチェ事件もそうですが、非正規労働者の労働事件を何十件も担当しました。

同じ仕事をしていても、「正規」か「非正規」という違いだけで、労働条件も賃金も違えば、会社はどちらを雇うでしょうか。これこそが非正規労働者が増えている構造です。
差別的な状況に置かれている非正規労働者の権利擁護に取り組むのは、私の使命だと思っています。

大好きな杉並区で、役に立つ弁護士に

2017年3月1日、阿佐ヶ谷に「杉並総合法律事務所」を開設しました。
学生時代から12年以上杉並に住んでいます。


杉並総合法律事務所開設記念パーティーにて

取り扱っていた事件も杉並区に関係したものが多く、骨をうずめる覚悟です。
杉並の平和や人権を守る活動が活発で、自由を愛する空気が好きです。多くの文化が栄えているのも魅力的です。
お酒が好きな僕にとっては、昔ながらの商店や飲食店も居心地がいいです。

高円寺小中一貫校スラップ裁判

昨年、高円寺の小中一貫校建設をめぐる裁判で住民側の代理人になりました。

工事を強行する業者に対して、「区との話し合いが終わるまでは工事をやめて」と抗議したことが工事妨害に当たるとして、建設業者から近隣住民が裁判をかけられました。
穏当な抗議行動だったにもかかわらず、なぜ裁判をかけられるのか、弁護士である私にも信じられませんでした。
申立人は建設業者でしたが、区の発注工事ですから関与がない訳がなく、事実上杉並区によるSLAP(スラップ)裁判といえるものでした。

杉並区は、この「高円寺小中一貫校建設計画」を打ち出して以降近隣住民の意見を聞こうとする姿勢を一切見せませんでした。パブコメで反対の声が圧倒的多数であったにもかかわらず、修正・見直しをするどころか、その検討すらしませんでした。
住民の皆さんは、巨大な校舎が騒音・大気汚染のひどい・登下校に危険な環七沿いに建つこと、校庭が日陰でかつ狭すぎることなど、子どもの教育環境としてふさわしいのかに大きな疑問を持ち強引に進められる工事に抗議していたのです。そこへスラップ裁判です。

このほかにも各地域で進められている施設再編計画は、住民の意見を聞かずに区のトップダウンで進められているものでした。
しかもその中身は、児童館、ゆうゆう館、科学館などの区民に愛される施設を廃止するという、まち壊しともいうべきものです。
そもそも行政というのは住民の声に基づいて進められなければならないのに、その姿勢がないのは、自治体としてありえないことです。

政治を変えなくては――区長選への立候補を決意

結局、裁判は工事業者の請求を一定退けたものの、工事妨害そのものは認められ、残念ながら抗議行動を弱めることを余儀なくされてしまいました。

工事は、着々と進められています。
建設される姿を見るたびに悔しさが込み上げてきます。

裁判所でたたかうのではなく、政治を変えなければ、杉並の住民無視の政治は止められない――区長選に立候補することを決意しました。

【SLAP訴訟「Strategic Lawsuit Against Public Participation」の略語】
公の場で発言したり、訴訟を起こしたり、あるいは政府・自治体の対応を求めて行動を起こした権力を持たない比較弱者に対して、企業や政府など比較優者が恫喝、発言封じ、場合によってはいじめることだけを目的に起こす加罰的あるいは報復的な訴訟。

生き物が好き

子どもの頃から、生き物を飼っていました。
おさないころは、昆虫とカメ。カブトムシとクワガタを戦わせたりしていました。犬も飼っていましたよ。

今は、カメとうさぎを飼っています。
カメは、ニシヘルマンリクガメの「ボンちゃん」。クールな外見に似合わず、小松菜をいくらでも食べます。一生懸命食べる姿と咀嚼音は癒しです。
ウサギは「モコちゃん」1才3ヵ月です。帰宅するとゲージから出て、枕元に寄ってきて添い寝してくれます。かわいい以外の形容詞が思いつきません。
ボンちゃんが寂しそうかと思って、モコちゃんを迎え入れたのですが、よく考えたらライバルですよね。リアル「ウサギとカメ」です。


左がボンちゃん、右がモコちゃん